酒井区
山車
質屋町の「布袋山」も延宝7年からの伝統を持つ。現在の山車は明治34年に建造。大正15年に漆と金具を新調した。
2階には布袋面と唐子人形が飾り付けられてます。
区内在住の旧藩士武久釘五郎氏から伝授する。
明治34年には旧小浜藩主酒井家より井筒の紋の使用を許された。
大太鼓&棒振り
西津7年祭りの小松原川西地区から指導を受け昭和33年より大太鼓を奉納
棒振りには二人、三人、半棒があり半棒の囃子には笛が加わる。
宝暦5年(1755)には、すでに中西町の神楽太鼓が祇園祭礼に出ていたとの記録がある。
現在の屋台は文久2年(1862)に製作され昭和3年の大修理で現在の形になった。
江戸時代には洲崎町、川崎町は「木賊山」や、「異国凱陣」の練り子等で祇園祭礼に参加していた。
富沢町(本町)の山車は延宝7年(1679)は進上山、延宝8年以降は「夷山」と呼ばれた。
その頃は祇園祭礼に出てたという記録がある。現在は蛭子山と称し本陣飾りに蛭子人形を飾り付けてます。
明治40年、それまでの「作物」「引物」等の代わり山車で参加するようになる。
見送りが「尉と姥」の図である事から「高砂山」と名ずける。
昭和2年に漆塗りに改装。